日本の誇り・鉄道技術

 

 先日、インターネットで「大いなる旅路」という1972年に放送されたドラマを40年ぶりに見た。

 ある年老いた蒸気機関車の元機関士が、部下を訪ねて思い出話に花を咲かせるが実は迷惑がられていたことをひょんなことから知ってしまう。ショックを受けて放心状態で我が家に帰るが、自分の部屋に飾られていた蒸気機関車の写真を見て、みるみるうちに元気を取り戻す。その写真はD51型の903号機で、この元機関士が乗務していたカマ。そうだ、彼を訪ねてみよう、ということで国鉄本社に赴き、現在の配置を調べると、大湊の機関区にいることがわかる。さっそく訪問するが、一週間前に長野機関区に転属になっており、あわてて追いかける。長野で再会したD51の903号機は解体作業の真っ只中だった・・・という話。

 バーナーで解体される903号機を見たときには涙がでそうになったが、それはともかく、このドラマでは903号機の居所を調べてくれた国鉄本社の社員や旅の途中で言葉を交わした現役の機関士などが元機関士を「先輩」として丁寧に扱うシーンが随所に出てくる。

 大いなる旅路の別の回では、進駐軍の乗る列車を運転する日本人機関士が信用ならんからアメリカ人の指導機関士をつけるとGHQが言っている、というのを聞いた機関士が、なんだとバカヤロー俺の腕前を見せてやらあとばかりに、客車の連結器の上にタバコを立てて置きそれを倒さずに機関車を連結させる、というシーンがある。

 誇り高く、腕前も抜群でまさに職人ともいうべき日本の機関士がGHQに「まいった」といわせたこのシーンを私は鮮明に覚えていた。

 オジサンたちは自分の仕事にプライドをもち、そのプライドに見合った腕をもつ。そして長幼の序という言葉が名実共に存在した時代だった。

 もっとも、家族はといえば、息子も孫も国鉄の機関士という国鉄一家であるにもかかわらず、「まったくおじいちゃんも少女趣味だね〜」とか言って全然相手にしていない。

「会いにいくのか。それはいい、会えたらいいな」と思っていた私はドキッとした。

 閑話休題

 蒸気機関車の全廃が1976年だから、1972年といえば蒸気機関車の最晩年。

 このときまだ現役で働いていたC62型という蒸気機関車をご存じだろうか。2号機はデフレクターにつばめのマークが入り、かつて特急「つばめ」を牽引した日本を代表する機関車。17号機は1954年!に時速129kmという「狭軌鉄道における蒸気機関車の世界記録」を樹立した機関車。

 1954年といえば昭和29年。終戦から10年以内に世界記録を樹立し、いまだに「当時の」という冠はついていない。実にすばらしいことだと思う。

 C62の2号機は京都の梅小路蒸気機関車館に動態保存されていて、まだまだ元気一杯、全般検査(自動車でいう車検)さえ受ければ東海道本線や山陽本線だって走ることができる。このC62型の2号機を我々は文化遺産として大切にし、後世に引き継がなくてはならない。かつて乗務した機関士や機関助士のプライドや心意気とともに。

 

 さて、元機関士のお話の最後に「超電導磁気浮上試験車」の試験運転のシーンが出てくる。今でいうリニアモーターカーであり、1両だけの試作車とはいえ、実際に走行している。

 先般、東京・名古屋間のリニア新幹線(中央新幹線)の営業開始目標が 2027年と決定した。超電導リニアかつ最高設計速度505kmという世界に類をみない新技術に挑戦し、日々たゆまぬ努力をされているみなさんには敬意を表するものの、東北新幹線が最高速度320kmで営業していることや試験車の時代から55年も経っていることからするとそんなに驚くスピードじゃないな、と思うのは無茶なことだろうか。

  2014.05.08

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